デジタルは支配する ― 2022/10/21 17:25
強権を行使するのに便利なツール、それがデジタル。
一瞬にして適合する人民を選抜し、
一瞬にして命令を下し、
それに従わない者を一瞬にしてふるいにかけて罰を与える。
従って、強権願望の全体主義者(社会主義者、共産主義者)たちは、大衆に対しては「便利になりますから」とごまかして、影では熱心に進めてきた。
中国人民デジタル奴隷化はモデルケースだと言われ、それを世界に広め
ようとしている。
人々はその危険性に気づき、世界では廃止されてきている。
Geeさんがマイナンバーカードについてツイートしていたと言う:
独: 人格権の侵害として違憲判決で廃案
ハンガリー:違憲判決
仏: ナチス占領下の番号制度に抵抗。導入せず
英: テスト運用開始後わずか1年で廃止
豪州: 国民の猛反対で廃案
伊: 制度なし
米・加: 任意。番号漏洩、不正利用が多発し、社会問題に
―――脱税を防ぐ? いやいや大金を持つ個人や企業ほど、TックスHイブンや
カジノを設けて税逃れしている。その一人、或いは一社の額だけでも莫大。
ちなみに日本の法人税は、複雑な仕組みで経費として落とせるものが多々
あると昔から言われていて、実質はその率よりもずっと少ない、と。
近年では、派遣社員の給料は経費として落とせるが、正社員の給料は落
とせないようにした。それで、外資は会社の利益増大を迫り、正社員をどん
どん派遣にさせてきた。莫大な金持ちは力づくで何でもやる。
「日本では賛成派の中には、健康保険証の外国人の使い回しの防止になるという意見があるが、そもそも『国民』健康保険なのに、国民でない外国人に国民健康保険証を与えているというとんでもない政策をしているのは日本ぐらいだ。外国人は一般の保険に加入するのが当たり前」 ―――全くだ。
日本では、戸籍に基づいてなりすましの不正を防いできたはず。
一斉に番号を付与してそれを万能にするやり方では、上記の外国の例に
あるように、使い方による侵害や不正使用が多発。戸籍が軽んじられて、
誰でも国民になりすましがしやすくなると危惧される。
今でさえ、残留孤児のなりすましがわんさといたのに、それに全く対処しな
いでいる政府。
そんな日本政府は:
「外国人は宝だ」と言って国民を見捨てる政府。
「どうぞお好きに」と日本の企業・不動産を外国に売りまくる政府。
日本国民を、低賃金労働者に変えた政府。
少子化対策と言いながら、少子化を進めてきた政府。
日本国民を、どんどん減らし貧しくしてきた政府。
長い歴史と優れた伝統文化を持つ日本国を消滅させようとする政府。
そんな売国日本政府が、大衆を支配する道具として便利に使おうとしていることは、危険極まりない。
長年にわたって認証され使われてきた健康保険証を「廃止する」と強制を実施しようとする発言は、まるで独裁者。
父親が外務大臣時代、中共に特別な便宜を図ってもらって以来、富を得て
きている人物。
その当時、中共が日本へ向けてミサイルをずらりと配置した時、祝電を打った
という父親、その関係を表している。
とても愛国者とは思えないその息子、数々の「日本売り」「外国優遇」の
発言と行動は、まるで日本のZレンスキー。外国と繋がって個人で利を得て、
国家・国民を売る姿。
選挙区に2人しか候補者がいない選挙では、中国と同じ。「形だけの選択、党の選択」しかない。
自分の考えを代わりに発言する候補者を選ぶのが民主選挙のはず。
しかし、小選挙区制になってからは党しか選べない。票が割れては困るから
と、候補者を絞って一人にしている。それで、「あの人では。。。」と棄権する
有権者が増えた。
なのに、与党はその制度を変える気が無い。野党は寝ている。
彼らに改善と言う姿勢は無い。
権力に留まることだけが彼らが望むことだと知らされる。
公明党の売国政策に牛耳られている自民党は、公明から団体票をもらって当選した偽装自民党員が溢れていて、肝心の決議で公明党員として行動している。
自称自民党員の中の、いったい何人が真の愛国者なのか。
ちなみに、統一教会について大手メディアは花盛りだそうだが、公明党と創価学会の成り立ち、どこと繋がっているかについて黙して、人々の目をそらしていると言う。
これほど売国政策をさせて国会を牛耳ってきているのに、スポンサーに
操られる大手メディアはもはや不用、いや大衆に道を誤らせる有害媒体と
して認識されつつある。
ネット情報にアクセスして、個人や小さいグループの発信に触れる人たちは、
多くの情報を得て、自分で判断することをしてきている。
外国では、起きていることに対して「おかしい、怪しい」という情報がひろまって、抗議デモや集会が多発してきた。
一方で情報鎖国と言われる日本。以前研究者Dが言っていた、「人々の腕を掴んで、ゆさぶって、目を覚まして!と叫んで、一般国民が認知を広げるしかない」という提案が思い浮かぶ。
彼らを放置してはいられない。知った情報を伝え合うことは、敗戦前の先人たちが日常的に行っていたこと。
TVができたのは敗戦後のこと。
それ以前は、座りっぱなしで何時間もTV箱の前でじーっとしている者は
いなかった。
メディアをあやつるスポンサーの思いのままに、何も考えずに従う者はいな
かった。
友人たちの多くが座りっぱなしで、何も疑問を持たないことに愕然とした
数か月前だった。
目を覚ませ。