皇室とは何か ― 2021/11/04 06:18
A氏が皇室の存在の意味を語っていた。
「天皇陛下は日々、民(たみ)の安寧のみを願っておられる。決して
ご自分やご家族のことを願われない。私(わたくし)を捨て、公(おおや
け)に生きておられる。だから民の私たちが税でお支えしている。
2000年以上前からそうしてきました」
「仁徳天皇についての古事記の記述はよく知られています。民が貧しい時は、税を取られなかった。それは町を見て、民のかまどから煙があがっていないことに気づかれて、民が食べられていない(食べ物がない)と察してのこと。民は大御宝(おおみたから)=大切な宝だから、と。」
「そのうちに御所がボロボロになり、天皇の衣服もボロボロになった。
皇后が、もう税をとってもいいのでは、とおっしゃった。仁徳天皇は、
いやまだ、とお答えになった。
その後、民は十分食べられるようになったら、皆で御所に出向いて建物
の修復を始めた。これが私たちの国の皇室です。これが私たちの国の
天皇と国民との関係です」
「他国の王室は違う。他国では、武力と財力で敵を滅ぼした権力者が王になってます。王はご自分の幸せ、家族の幸せを願われます」
「私たちの国の天皇は権力を持ちません。そしてご自分の幸せではな
く、民の幸せを祈られる。私を捨て、公に生きておられる、そういう存在
です。だから国民が自発的にお支えする」
皇室は公に生きておられる、だから国民が税で支えているのだ。昨今の皇族の行為は、私だけの幸せを考えて行動されている。それはこの国の皇族の姿ではない。税でお支えしてきたのは、私を捨てて公に生きておられていればこそ。
今の一般家庭では、お手伝いさんが一人いるだけでもお金持ちだ。
そんな中、皇族には何人もの侍従を付けてお支えしている。それは国民
の税の支え。
「そういうことを全く理解していない皇族が出現したことは、皇室の存続の危機を表している」
A氏は言う。「その一件は、弟殿下が30代、40代になられた継承時に、天皇になるのは嫌だ、と言い出される可能性を示唆している。それが最大の危惧です」
従って、将来も続いて天皇が継承される為には、神武天皇の血を引く男子を皇室へ迎えることが、非常に重要な課題になる。
現在、降下された11宮家の中に7、8人の若い男子がおられるそうだ。
GHQ(の中にいた共産・社会主義者たち)が降下させなければ、天皇
を継承できる多くの皇族男子がいて、むしろ継承は安定していたはず
だった。
A氏は「降下はGHQが仕掛けた時限爆弾」と言う。3宮家だけにしておけば、そのうちに男子が途絶えて、天皇継承の危機が訪れて、日本の弱体化ができる、という狙いがあった。
公に生きるはずの皇族が、私に固まっている。国民は唖然とした。国民は何のためにお支えしてきているのか。国民と皇室の分断をもたらした、その皇族の一件は、重大事を暗示しているのだ。
令和の真の意味 ― 2019/04/26 17:18
T氏が説明していた。きれいな情景がイメージされるものだったので、覚えておいて知人たちにも教えようと思う。
おおよそ、こんな感じだった。
万葉集の中に梅の花の32集がまとまっているところがあり、その冒頭に序文があって、その序文にて、梅にまつわる歌が詠まれた状況が記されているのだ。
令月にして、風やわらぐ。
初春にして季よく、風和らぎ、梅の花が咲き、蘭の香りがする。
ということだが、それからが大事だと言う。
序盤から説明すると:
時は天平二年正月十三日(旧暦)、季節は新春、所は大宰府。帥(そち、長官)大伴旅人の所にみんなが集まって宴(うたげ)をした。それは良い季節、穏やかなふわっとした風が吹いて、おしろいのように白い梅が咲いて、蘭は匂い袋のようにふわっと香っている。
- ここからが大事だそうだ -
向こうには山並みが見える。山には雲がかかっていて、手前には松の林がある。その松と雲が重なって見えて、まるで松が雲のベールをまとっているようで、衣笠(きぬがさ)をさしかけているような幻想的な風景。
向こうの山全体には霧がぼんやりとかかっていて、まるで薄絹(うすぎぬ)をまとっているようで、飛んでいる鳥は、その薄絹に封じ込められて林の中に迷い込んでいるように幻想的。
庭には今年生まれたばかりの蝶が飛んでいる。空には雁が飛んでいて、渡ってきていた雁がもう帰って行くのだろうか、という情景。
この生まれたばかりの蝶にしても雁にしても縁起がいいと言う。
参加者たちはその幻想的な情景を見て、屋内にいるのは勿体ない、と庭に出た。天を屋根にし、地を蓆(むしろ。植物の茎で編んだ敷物)にして、和やかに宴を楽しむも、あまりにも素晴らしい情景にみな見とれて言葉を失った。
そこで、「この感動を会話では表せない、文筆にしなくてどうして心の中を表現できようか」ということで、梅の花を題にして和歌を詠むことにした。気が付けばみんな一心に和歌を書いているではないか。
ここまでの説明を聴いていたA氏は「う~ん」とうなった。「昔の人は風流と言うか、粋と言うか。今の花見だとみんな飲んだくれているだけ」と、述べた。
確かに。どうりで私が花見にあまり惹かれなかった訳だ。歌の一つも
詠んでみたい。これからはそういう集まりにしたいな、と思うのだった。
特に呑兵衛はトイレ通いに忙しいだけ、だから、今後はみんなで風流に
粋に過ごしたい。それでこそ花見をしたくなる。納得。
総括して、令和を元号にしたあらましを、このように説明していた。
エネルギーに満ちていて、運気が良い、そして人々が穏やかに和気あいあいと仲睦まじく、気付いたら詩心をかきたてられて文化活動に勤(いそ)しむという、そんな素晴らしいイメージを共有して過ごそうではないか。
こういう意味を知ってこれからの令和を過ごすのと、知らないで過ごすのとでは大きな違いです、と。
おおよそ、こんな感じだった。
万葉集の中に梅の花の32集がまとまっているところがあり、その冒頭に序文があって、その序文にて、梅にまつわる歌が詠まれた状況が記されているのだ。
令月にして、風やわらぐ。
初春にして季よく、風和らぎ、梅の花が咲き、蘭の香りがする。
ということだが、それからが大事だと言う。
序盤から説明すると:
時は天平二年正月十三日(旧暦)、季節は新春、所は大宰府。帥(そち、長官)大伴旅人の所にみんなが集まって宴(うたげ)をした。それは良い季節、穏やかなふわっとした風が吹いて、おしろいのように白い梅が咲いて、蘭は匂い袋のようにふわっと香っている。
- ここからが大事だそうだ -
向こうには山並みが見える。山には雲がかかっていて、手前には松の林がある。その松と雲が重なって見えて、まるで松が雲のベールをまとっているようで、衣笠(きぬがさ)をさしかけているような幻想的な風景。
向こうの山全体には霧がぼんやりとかかっていて、まるで薄絹(うすぎぬ)をまとっているようで、飛んでいる鳥は、その薄絹に封じ込められて林の中に迷い込んでいるように幻想的。
庭には今年生まれたばかりの蝶が飛んでいる。空には雁が飛んでいて、渡ってきていた雁がもう帰って行くのだろうか、という情景。
この生まれたばかりの蝶にしても雁にしても縁起がいいと言う。
参加者たちはその幻想的な情景を見て、屋内にいるのは勿体ない、と庭に出た。天を屋根にし、地を蓆(むしろ。植物の茎で編んだ敷物)にして、和やかに宴を楽しむも、あまりにも素晴らしい情景にみな見とれて言葉を失った。
そこで、「この感動を会話では表せない、文筆にしなくてどうして心の中を表現できようか」ということで、梅の花を題にして和歌を詠むことにした。気が付けばみんな一心に和歌を書いているではないか。
ここまでの説明を聴いていたA氏は「う~ん」とうなった。「昔の人は風流と言うか、粋と言うか。今の花見だとみんな飲んだくれているだけ」と、述べた。
確かに。どうりで私が花見にあまり惹かれなかった訳だ。歌の一つも
詠んでみたい。これからはそういう集まりにしたいな、と思うのだった。
特に呑兵衛はトイレ通いに忙しいだけ、だから、今後はみんなで風流に
粋に過ごしたい。それでこそ花見をしたくなる。納得。
総括して、令和を元号にしたあらましを、このように説明していた。
エネルギーに満ちていて、運気が良い、そして人々が穏やかに和気あいあいと仲睦まじく、気付いたら詩心をかきたてられて文化活動に勤(いそ)しむという、そんな素晴らしいイメージを共有して過ごそうではないか。
こういう意味を知ってこれからの令和を過ごすのと、知らないで過ごすのとでは大きな違いです、と。