令和の真の意味2019/04/26 17:18

T氏が説明していた。きれいな情景がイメージされるものだったので、覚えておいて知人たちにも教えようと思う。


おおよそ、こんな感じだった。


万葉集の中に梅の花の32集がまとまっているところがあり、その冒頭に序文があって、その序文にて、梅にまつわる歌が詠まれた状況が記されているのだ。


令月にして、風やわらぐ。
初春にして季よく、風和らぎ、梅の花が咲き、蘭の香りがする。
ということだが、それからが大事だと言う。


序盤から説明すると:


時は天平二年正月十三日(旧暦)、季節は新春、所は大宰府。帥(そち、長官)大伴旅人の所にみんなが集まって宴(うたげ)をした。それは良い季節、穏やかなふわっとした風が吹いて、おしろいのように白い梅が咲いて、蘭は匂い袋のようにふわっと香っている。


- ここからが大事だそうだ -


向こうには山並みが見える。山には雲がかかっていて、手前には松の林がある。その松と雲が重なって見えて、まるで松が雲のベールをまとっているようで、衣笠(きぬがさ)をさしかけているような幻想的な風景。


向こうの山全体には霧がぼんやりとかかっていて、まるで薄絹(うすぎぬ)をまとっているようで、飛んでいる鳥は、その薄絹に封じ込められて林の中に迷い込んでいるように幻想的。


庭には今年生まれたばかりの蝶が飛んでいる。空には雁が飛んでいて、渡ってきていた雁がもう帰って行くのだろうか、という情景。


     この生まれたばかりの蝶にしても雁にしても縁起がいいと言う。


参加者たちはその幻想的な情景を見て、屋内にいるのは勿体ない、と庭に出た。天を屋根にし、地を蓆(むしろ。植物の茎で編んだ敷物)にして、和やかに宴を楽しむも、あまりにも素晴らしい情景にみな見とれて言葉を失った。


そこで、「この感動を会話では表せない、文筆にしなくてどうして心の中を表現できようか」ということで、梅の花を題にして和歌を詠むことにした。気が付けばみんな一心に和歌を書いているではないか。



ここまでの説明を聴いていたA氏は「う~ん」とうなった。「昔の人は風流と言うか、粋と言うか。今の花見だとみんな飲んだくれているだけ」と、述べた。


     確かに。どうりで私が花見にあまり惹かれなかった訳だ。歌の一つも
     詠んでみたい。これからはそういう集まりにしたいな、と思うのだった。


     特に呑兵衛はトイレ通いに忙しいだけ、だから、今後はみんなで風流に
     粋に過ごしたい。それでこそ花見をしたくなる。納得。



総括して、令和を元号にしたあらましを、このように説明していた。


エネルギーに満ちていて、運気が良い、そして人々が穏やかに和気あいあいと仲睦まじく、気付いたら詩心をかきたてられて文化活動に勤(いそ)しむという、そんな素晴らしいイメージを共有して過ごそうではないか。


こういう意味を知ってこれからの令和を過ごすのと、知らないで過ごすのとでは大きな違いです、と。

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