善と悪の戦い-43(1) ― 2021/02/08 19:06
世界一の富豪RC一族の名前は、先の米大統領選のいきさつで広く知られるようになったが、1月15日にその一族の7代目、BRC氏が57歳で死去。心臓発作とは?。。。
RCグループ取締役会の会長で対外的な代表だったそうだが、RC
一族の7代目の長としては、37歳のARC氏だと言う。
NSHが、その亡くなったRC一族の件をきっかけに、一族の成り立ちを説明していた。
所有資産は50兆米ドル以上とも言われ、どれだけなのか定かではない。
それほどの富豪でありながら、彼らの動きは、殆ど一般の目に触れることがない。その理由は、彼らはその巨大な富によって一般世論を管理し、一般大衆の視界から隠れているからだと言う。
初代のMは独出身で、苗字はRCではなく、家に掛けていた赤い表札
にちなんで、独語で「赤い盾」にしたのだと言う。銀行で金融実務を
学び、両替、骨とう品、古銭の会社を設立。
その後独国王後継者の一人であるW伯爵に出会い、古銭収集を好
むW伯爵に手持ちの古銭を贈呈し、収集を手伝った。H王の死後、
W伯爵は選帝侯となり莫大な財産を相続。Mは王室専用金融管理者
になり、一族の富の基礎を築き始めた。
Mの5人の息子のうちNは1804年に単身英国へ渡り、コットンビジネスを始めた。当時の欧州は継続的な戦争で混乱しており、W伯爵を含む一部の貴族たちは英国へ亡命。
W伯爵は自分の財産を守り、そしてNの英国での発展を助ける為に、
多額の英国債の購入と管理をまかせた。Nは自分でも債権と株式の
事業を始めた。
戦争が発生するたびに、Nは資金を必要としている小国に資金提供し、戦争で大金を稼ぎ、ロンドンで大手銀行の巨人になった。
Nの成功により、一族は欧州での事業を拡大。他の4人の兄弟は独、
仏のパリ、オーストリア、イタリアで銀行や証券などの金融サービスを
次々に開始している。
戦争で大金を稼いだ方法とは:
1815年、英仏間でWーテルローの戦いが勃発、戦況が膠着状態になり勝敗が不透明になっていた。王室や銀行家たちは英国が敗北した場合、保有する国債が急落して紙切れになるのではないかと心配していた。
この時英国の銀行大手のNも、大量の債権を保有していた。彼は戦争の結果が明かされる直前に策略を図ったことで、英国でセンセーションを巻き起こした。
その詳細は:
1815年6月18日ベルギーのブリュッセル郊外でのWーテルローの
戦いが最終局面に入り、夕方までにNポレオンの敗北が決まると、戦
況を直接目撃したRーズウッズというメッセンジャーが馬に乗り、高
速船に乗り換え、大金を払って英仏海峡を一晩で渡った。
翌19日の朝、英Fォークストンの海岸に到着、そこに待っていたNに
報告書を渡した。読んだNは急いで証券取引所へ戻り、手持ちの債
権を売り始めた。取引所の人々は、Nが英国の敗北を知って売却を
急いでいると判断、パニック的な債権売却を引き起こし、債券価格
は急落した。数時間後に英国債は額面価格の5%にまで下落し紙切
れになった。
この時Nはエージェントに全ての債権を買い戻すよう指示した。皆が
驚いていると、英国勝利のニュースが届いた。すると国債の価格が
高騰し、Nは1日で20倍の富を稼ぐことに成功した。
これによりRC家は英国で最大の金融ビジネスグループになった。
Nは英国最大のEングランド銀行に出資して筆頭株主になり、英国
の通貨発行権と管理権を手にし、当時世界最強だった英国の金融
システムを実質的に掌握した。
つまり、RC家は情報で財をなした。