善と悪の戦い-43(2)2021/02/09 20:34


後に彼らはDSの支配者と言われるようになったが、彼らは紙幣だけでなく、情報を管理する。


     戦争前から、独自の戦略情報システムと速達システムを確立してい
     た。


     膨大な数の秘密のエージェント機構を確立したが、戦略諜報スパイの
     ようなこれらの人々はRC家によって「子供たち」と呼ばれているそう
     だ。


     彼らは欧州各国の首都、主要都市、重要な貿易センター、商業セン
     ターに駐在し、様々なビジネス、政治その他の情報を収集している。
     この諜報システムのスピード、効率性、正確性は驚くほどのレベル
     で、公式情報をはるかに上回っていて競合他者は届かない。


1815年のWーテルローの戦いにNポレオンが破れ、RC家の世界支配がはじまった。それ以降、RC家の富は急速に倍増していく。


     1850年頃までにRC家は既に欧州で最も裕福な一族になったが、
     戦争によって富を築くことに対し、彼らに一般人のような良心の呵責
     はなかった。


戦争が勃発するたびにRC家は各国政府に軍事融資を提供した。


多くの場合、債務返済を理由に敗戦国の鉱業や鉄鋼業の利権を得て、銀行や証券会社を開設することで、その国の金融システムをさらに独占したので、彼らにとって国の敗北は問題ではなかった。


     例えば普仏戦争末期に仏がPロイセンに支払った賠償金は、RC家
     が彼らに代わって支払った。また、米内戦中に連邦政府側の主な資
     金源となったのはRC銀行だった。


基本的に19世紀の欧州諸国は健全な独立した通貨、税制、債券、財政システムを持っていなかった為、金融業者の力が十分に拡大された。


従って、多くの国で債権発行を担当していたRC家は、その国の内政や外交にまで手を伸ばす事が出来、戦争を防ぐことも始めることもできた。


     Aヘン戦争もRC家と大きく関係している。中国にアヘンを輸出した東
     インド会社はRC家が支配株主だった。


     Sエズ運河の事件についても手腕と財力が見えると言う。


     1875年の或る夜、Nの息子Lがロンドンの自宅に、同じくユダヤ系
     のD英国首相を接待した。晩さん会の最中、Lは仏支部から電報を受
     け取り、Eジプト国王が資金不足の為にSエズ運河の株の17.7万
     株を仏政府に売却する意向だが仏側からの申し出に非常に不満があ
     り、400万ポンドで他国へ売却したがっているという情報を得た。


     翌日D首相は閣僚と会談を行い、英国が株式を引き受けることを全会
     一致で合意。当時国会が休会中で、近々資金を調達する方法がなかっ
     た為、RC銀行のロンドン支店から400万ポンドを借りる決定を迅速
     に下した。この金額はどの国でもすぐには調達できない額だったが、
     RC家は簡単に手早く提供した。彼らは国家に匹敵するほどの財をな
     していた。


RC家は、ユダヤ人の伝統と利益を守る為の努力を惜しまなかった。


     T政府がロシアのユダヤ人を迫害していた為、T(ロシア皇帝)への
     融資を拒否した。


     また、スエズ運河事件に際して政府に借款したLは1858年に英国
     下院議員になった際、ユダヤ人の帽子を着用、聖書の代わりにヘブラ
     イ語聖書に手をあてて就任宣誓することを要求した。


最初、上院の貴族たちは大反対したが、最終的にはRC家の権力を前に譲歩せざるを得なかった。


     27年後、Lの息子NMは、英国史上初のユダヤ人貴族に指名され、
     上院議員に選出された。彼も父親と同様、ユダヤ教儀式に則った宣誓
     就任をした。


一方で余りにも巨大なRC家の富は金融界や政界に多大な影響を及ぼしたが、その運営がブラックボックスで不透明であったことが、間接的に各地でユダヤ人差別や排斥につながった。


恐らくその理由からRC家は反ユダヤ的言論を抑制し、シオニズム運動への積極的関与を期待して、Rイターなど多くのメディアを買収したのだろう、と言う。

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